死ぬまで一生愛されると思ってたよ

クリープはあまり聞かないというか殆ど聞かないのですが、愛の標識の出だしはなんだかずっと頭の中に残ってます。

音楽は本当に好きなものしか聞かない為、コードやら理論やら何やらの知識がないので音楽的に何処が素晴らしいとか分からないので、私が、私が!何処が好きなのか良いと思ったのかをダラダラ書きます。インタビューさえ見ていない"私が"なので間違ったことも書くと思いますが、そういうときはこっそり、出来れば優しく教えてやってください。我儘糞野郎ですいません。同じ同じ!って思ってくださる人がいれば嬉しいです。


愛の標識はやついいちろうさんのDJのCDで初めて聞きました。一年前くらいですかね。最初の言葉の「死ぬまで一生愛されると思ってたよ」がそのときの私にはドスンと泣きたくなりました。ドスンと泣きたくなるの意味がちょっと私も分かりませんが。言葉が下手くそすぎる。

とにかく、私はその歌を聞いて良いよなぁ。そうだよなぁと思ったのです。

そこらへんのライブ会場を出会いの場だと勘違いしてライブ後にラブホテル行って朝になったらツイッターにセックスしたことを平仮名と手や足だけの写メを使いながら何と無く表現するような上も下もゆるふわ女子は誰にでもそう思う人が多いかもしれませんが、そうでない人は人は一生この人と一緒にいるという確信は怖くて持てないと思う方もいらっしゃるのではないかと思います。少なくとも私はそうです。

好きであれば好きであるほど「一生」という言葉って重くて考えるのさえ怖くなるんですよね、私は。

でも好きだから一生一緒にいてくれや的な気持ちもあって、どこかで期待してしまう。もしかしたらこの人は…というゆるふわ女子となんら思考回路変わらねえじゃねえかよ馬鹿ということになります。皮肉が大きなブーメランで帰ってきました。

そんなこんなでその気持ちを長く一緒にいればいるほど、そんな少し怖い気持ちを誰にも言えぬまま拗らせてくるんです。ふとしたときに考えてしまう。例えば少し遅く朝起きて軽くご飯を食べたあと、テレビを見ているときに、横か前か後ろか知りませんが近くにいる好きな人のことをふと見たときに「ここ人と…」と将来のことをボヤーと考えてしまっていやでもこの人とは難しいかもしれないお皿すら下げてくれないし多分結婚感合わないしいやでも好きだし将来どうなるのかな…と勝手に考え込んだり怖くて考えるのやめたりして段々憂鬱になってきて、そんなことは知らずにテレビを見て笑っている好きな人に苛ついてしまう と、こんな阿呆なこと妄想するの私だけですかね、多分皆言わないだけで結構同意してくれるだとことを願ってます…。

その重い「一生」という言葉ががいつでるかって、本当に別れるなという別れ際か別れた後なのだと思うんです。この曲も別れる直前かその後ですよね?

何もなくなってしまったあとに、「一生」という言葉から離れられたときに、やっと使えるような気がします。だからこの曲の一発目の歌詞、死ぬまで一生愛されると思ってたよがこんなにも私の頭の中に残るのだと思いました。



クリープの歌詞から自分の話に持ち込みました。自分のブログだからそれはいいや。